岩手県盛岡市で暮らしていた、大地主で資産家の大平吉郎さん。
92歳で亡くなっていますが、なんとその遺産は20億円以上もあったと言われています。
家族や身寄りのなかった大平吉郎さんの遺産は、一体誰が手にしたのでしょうか?
そこで、大平吉郎さんについて
- 遺産20億円を相続したのは誰か
- 名乗り出た3組の人物像
こちらについて調査しました!
大平吉郎(盛岡)の遺産20億円の相続は誰が手にした?
岩手県盛岡市で暮らしていた大平吉郎さんは、2014年3月17日に92歳で亡くなりました。
大平吉郎さんは盛岡市の中心部などかなりの立地が良い場所に、多くの土地を所有する大地主でもあったため、20億円の遺産がありました。
親族や身寄りのない大平さんの莫大な遺産を相続されたのは、誰だったのでしょうか?
結論から先にお伝えすると
仙台高裁はわずかな金額の相続分与しか認めず、20億円の遺産のほとんどが国庫に入ることとなった
https://www.moneypost.jp/994538
20億円の遺産の内訳として
- 不動産の評価額は約7億円
- 銀行口座には約5億円の現金
- 自宅の土蔵から約8億円の現金と宝飾品
なんとほとんどの遺産が国庫に入ってしまったのです。
大平吉郎さんは生前、遺産について「国には渡さない」と語っていたと言います。
大平吉郎さんの本意ではない形となってしまったことが、一番悔やまれますね。
そんなことも大平さんは知っていたことでしょうね。
大平さんが一番望んでいなかった国庫に入るなんて、悔しすぎる結末だね
続いて、相続を名乗り出た3組についても見ていきましょう!
大平吉郎(盛岡)の遺産20億円の相続を名乗り出た3組の人物像は?
大平吉郎さんが残した、法定相続人がいない資産約20億円。
大平吉郎さんの周辺からは、それぞれ遺産分与の理由があり揉めることになります。
この、特別縁故者に名乗りをあげた3組の人物は、どんな方なのでしょうか?
1組ずつ見ていきましょう!
特別縁故者に名乗り出た1組目の人物
特別縁故者に名乗りをあげた1組目は『遠い親戚女性2人』です。
親戚とその叔母の2人。
立派な邸宅や和風庭園を歴史的な文化財として一般公開し、大平家の名を残したいと訴えていました。
ですが生前、大平さんは「親戚には遺産を渡さない」とも言っていたようです。
特別縁故者に名乗り出た2組目の人物
特別縁故者に名乗りをあげた2組目は土地の管理を任されていた『不動産業者の家族』です。
不動産業者の家族は3人。
不動産業者は、大平さんが過去に土地の売却を手がけた時の付き合いの、その妻と子供。
吉郎さんが亡くなる前に、家族は泊まりがけで看護していたようです。
大平さんの遺志を継いで
- 自宅を残すこと
- 財産の一部は母校・早稲田大学に寄付
上記を予定していました。
特別縁故者に名乗り出た3組目の人物
特別縁故者に名乗りをあげた3組目は、よく身の回りの世話をしていた『近隣男性』です。
よく身の回りのお世話や差し入れ、雪かきをしてくれていた60代の中年の男性。
自宅などの不動産が分与された際は、町内会で活かしていきたいことを話していたそうです。
「遠い親戚より近くの他人」ってくらい、身近の人は大切だよね・・・
続いて、大平さんが構想していた遺産の使い道についても見ていきましょう!
大平吉郎(盛岡)の遺産20億円の使い道で望んだことは?
大平吉郎さんは、莫大な遺産の使い道として、どのようなことを望んでいたのでしょうか?
20億円の遺産の内訳
- 不動産の評価額は約7億円
- 銀行口座には約5億円の現金
- 自宅の土蔵から約8億円の現金と宝飾品
この遺産を、大平さんは構想として描いていたことがあったのです。
「遺産で財団法人を設立し、財産を管理させることを大平さんは望んでいました。そして、立派な邸宅や自宅の庭園、お姉さんが所有していた絵画などを一般公開したかったようです。また、母校の早稲田大学へ奨学金の寄付も望んでいました」
https://www.moneypost.jp/994538
- 財産法人を設立し管理させる
- 邸宅や庭園、姉が所有していた絵画を一般公開
- 母校の早稲田大学に奨学金の寄付
これを叶えるべく、生前に遺言書案を作成しています。
95歳になったら署名押印すると言い残し、叶うことなく92歳で天国に旅立たれてしまいました。
⇩大平吉郎さんの盛岡の自宅はかなりの大邸宅だったのに、現在は残念なことに!
遺言書が完成していたら、こんな結果にはならなかったのかな?大平さんが一番悔やんでるだろうね・・・
まとめ
今回は、大平吉郎さんの遺産20億円の相続先や、3組の人物像についてお伝えしました。
大平吉郎さんの20億の遺産は
わずかな金額の相続分与しか認めず、20億円の遺産のほとんどが国庫に入る
ことになってしまいました。
大平さんの構想が叶わなかったことが本当に残念でなりません。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。